のらりくらり。

ワーママ奮闘記と言う名の雑記帖。

どこまでも続くトンネル。

2023年3月、子が5年通ったこども園を卒園。

2023年4月、小学校に入学しました。

 

卒園式後からお腹の調子を崩し、下痢が続いたので小児科で整腸剤を処方してもらい飲み続けてたけど全く効かず、メンタル面の問題なんだろうと思い、長い付き合いになるだろうなと覚悟はしてました。

 

学校に行くことは楽しみだと言ってたけど、不安のほうが大きかったんだろうな...

 

入学式より一足先に児童クラブに行き始め、ドキドキワクワクしながら入学式の日を待ちわびていました。

 

入学式当日の朝に私の母が亡くなり、急遽私が参加できない入学式となりました。

祖母が亡くなったってことをいつ伝えられたのかはわからないけど、すごく不安だったろうなと思う。

 

無事に入学式を終え、次の日は始業式。

初めての通学班登下校もニコニコだったので安心しました。

 

次の日は葬儀(通夜なし葬儀)でした。

土曜日だったので学校を忌引でしょっぱなから休ませることもなく、そこは不安を1つ減らせたかなと思う。

 

子は初めてのお葬式だし、たまに遊んでもらってたおばあちゃんだから戸惑いがあり、同時に恐怖もあり、式には出れたし棺にお花も入れることはできたけど、火葬後の姿は見ることができませんでした。

 

その日から骨壷と遺影を自宅の2階に置いてあり、怖くて2階に行かなくなりました。

 

入学前に2階に子の部屋を作り、自分の部屋が嬉しくて2日間そこで寝ることができてたんだけど祖母が亡くなってからは今まで通り私と下の部屋で寝てます。

 

悲しい、寂しいってより恐怖心。

 

初めて身近な人の死を経験したし、新生活もスタートしたし、精神的にちょっとザワザワしちゃってたなぁ。

 

葬儀の次の日には夫がまた単身赴任先に旅立ってしまい、私は不安で夜も眠れなかった。

 

案の定、次の週からメソメソして通学班で行くことができなくなり、私が毎日付き添い登校をすることになりました。

 

昇降口で別れるつもりが、そこからギャン泣きなのと私から離れられないので仕方なく教室まで行き、担任に引き渡す毎日が続きました。

 

少しして昇降口で先生に引き渡すようになり、泣きながらもなんとか教室に行き、メソメソしながらも授業はしっかり受けていたようです。

 

そんな日々が続いたある日(4月下旬)授業参観があったので2時間ほど教室の後ろで子の様子を見て、立派に発言もしてて成長も感じられたし、満足して帰ろうとしたらまたギャン泣きで参りました。

 

この頃「園に戻りたい、園長先生に電話して園に戻してもらえるように言って!それが無理なら朝から児童クラブに行きたい。」と言うようになり、私も夫も頭を抱えてました。

 

児童クラブが好きなのは良かった...

 

仕事も毎日時間休で対応しててどんどん減ってく年休...これいつまで続くんだろう...

 

単身赴任中だった夫もやっと帰ってきて、これで楽になるかな!!とすこーしだけ安心した。

 

でもここで魔のGW突入!

連休明けが怖い!絶対泣く!!!学校行かない!って言うんじゃないか??

って胃が痛くなる毎日。

 

連休が永遠に続くか、地球が無くなってしまえばいいのに!と本気で願った。

 

連休中はなるべく楽しく過ごし、学校の楽しいことを話すようにし、子の気分をアゲアゲにすることを意識し頑張りました。

 

が、ダメでした。泣くどころか玄関から出やしない。

 

夫は朝早く仕事に出掛けてしまうので、単身赴任中とそう変わらない。

 

相変わらず私が毎日学校まで付き添って遅れて出勤する毎日が続きました。

 

もう一度言うけど、夫が単身赴任中と何も変わらない。

 

子のお腹の調子も全くよくならず、毎日下痢。

もう3ヶ月くらい普通の便見てないぞ!!!そろそろ硬くなってもいいんじゃないですかー?って子の尻に話しかけてた。

 

49日が過ぎ納骨を済ませ、家から骨壷はなくなったけど遺影が残ってるのは知ってるから2階には行かずの日々。

母には悪いけど、クローゼットの奥に隠しました。

 

この頃梅雨入り、6月に突入!!

このまま時間休対応にしておくのもキツいなと思い、ここでやっと職場の制度を使うことに。

30分遅く出勤したら夕方30分みんなより遅く帰る制度。

 

今まで1時間休で余裕を持って出勤してたけど、30分しかないとなると学校まで付き添ってたら間に合わない。

 

よし、ここは鬼になってやろう。

 

「仕事遅れて怒られちゃうから、通学班の集合場所までは行くけど、そこからはもう付き添わないぞ!!!」と子に言い聞かせ、ついに付き添いなしで登校できるようになりました。

 

相変わらずメソメソしながらだけど、成長した!よく頑張った!!偉い!

 

しばらくは班長さんとそのお友だちが昇降口まで送ってくれていたそうで、とてもお世話になっちゃいました。

 

ただね、30分遅く行けるのはいいんだけど帰りが遅くなると児童クラブも延長になっちゃうし、帰ってからが忙しい忙しい。

 

夫は残業してくるから遅いし、というか、6月から夜勤が始まって隔週で夜いないという...

 

何回もしつこいけど、単身赴任してた頃と変わらないどころか負担増えてるんですけど。

 

夜勤の週も21時くらいに家を出るからその前に風呂とご飯準備しなきゃいけないし、朝子どもが登校してから帰ってくるから私が見送らなきゃいけなくて30分遅れて行くのは変わらず...

 

9時頃帰ってきて寝て、起きてくるの19時って...寝過ぎじゃないですかね。

たまに洗濯物入れてくれてるけどそれ以外何かしてあるわけじゃないし、毎日モヤモヤする。

 

っていう愚痴です。すみません!

 

7月に入って、子が登校時に泣くことは減ってスムーズに出発できるようになった!

頑張ってる!!偉い!

 

いつの間にかお腹の調子も良くなって下痢便じゃなくなりました。良かった...やっと慣れた?

 

はい、ここで夏休み突入しました。

慣れた頃にやってくるよね、長期連休。

 

お弁当作って児童クラブまで送って行く毎日がスタートしちゃいました。

暑いしね、荷物重いから送って行けるのはいいんだけど毎日の弁当作りが大変です。

 

でも子は児童クラブが好きで楽しく通ってるからまぁ良しとして母はあと1ヶ月頑張るね...

 

夏休み明けの登校のことは今は考えないでおこう。

 

たまーに一瞬トンネルの出口が見えるけど中々出られないね。

 

でもいいんだ、子は可愛いから。悩みは尽きないけど子が元気でのびのび育ってくれたらそれでいい。

 

これから色んなことあると思うけど、その度に悩んで乗り越えて、その繰り返しだ。

 

今目の前にある悩みは宿題です。

宿題なんて提出したら負け!ぐらいの学生時代を過ごした母なので、宿題は夫に丸投げすることにした。

 

これで宿題の壁は乗り越えられるでしょう。

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母との別れと後悔。

久しぶりの更新ですが、まー色々ありました。

 

今年度、子が小学校に入学ってことで色々バタバタ慌ただしくしてて、入学式当日の朝せっせと準備してたら母親が入院している病院から連絡があり、もう危ないからすぐに来てくれと言われ、子の準備も中途半端のまま私だけ病院に向かいました。

 

夫が単身赴任先から入学式のために帰ってきてた(帰ってきてくれてて本当に良かった)から子のことは夫に託しました。

 

 

昨年度の冬から病気で入院していた母は、当初から余命宣告されており、年度末頃には緩和ケアのできる病院を探し始めていました。

 

病院を何件かピックアップしてもらい、申し込んだ矢先でした。

 

亡くなる前日、仕事が終わって子を園に迎えに行き義実家に預け、その足で病院に書類を取りに行きました。

 

ナースステーションの前で受け取って、看護師さんが「お母さん、腹水を抜いたらとても楽になったみたいで元気そうですよ〜」と言ってたので、少し安心してそのまま帰宅しました。

 

 

次の日病院からの電話のあと急いで向かったけど、平日の朝だから道路が混んでて思うように進まず、病院までの道のりがすごーく長く感じた。

 

田んぼ道を走ってあと少しで病院に着く!ってところの交差点の手前で前方に怪しい走りの軽自動車がいて、やだなぁ、早く行ってくれないかなぁと後ろについて走ってたら案の定、その車が変な動きをしながら右折し、ラバーポールに接触してそのまま加速して行ってしまった。

 

運転席に座ってたのは35〜40くらいのポニーテールの女性で、ポールにぶつかってるのに無表情で前だけ見て走り去って行っちゃって、不思議な感じだった。

 

と、少し脱線したけどなんかちょっと霊的というか、そういう変な空気感があってすごく記憶に残ってるから書いてみた。

誰にも言ってないけど...

 

病院に着いて走って病棟まで行ったけど間に合わなかった。

「おかんごめん...」

 

なんで昨日看護師さんにお願いしてでも会って行かなかったのか、少しだけでも話して行かなかったのか...

これは本当に後悔してる。

 

でもさ、元気だって言ってたじゃん。

まさか次の日に死ぬなんて思わないじゃん!

医療従事者だったらわかるものじゃないの?

 

なんて人のせいにしてみたり。

今でもモヤモヤして眠れない日がある。

 

母を前に謝ることしかできず、弟が来るまで30分くらい謝り続けてた。

途中でふと「あ、職場に連絡しなきゃ」ってなって連絡して、また母親の横に座った。

 

弟が到着してから主治医が死亡確認をしてくれ、その確認した時間が死亡時刻になった。

63歳でした。

 

本当はいつ亡くなったんだろうって考えてると、病院から電話が来た時にはもうダメだったんじゃないかとか、あの不思議な無表情の人が走り去った時なんじゃないかとか、色んなことが頭を駆け巡る。

 

死亡確認のあと、まずは葬儀屋に連絡をし、遺体を運んでもらう手配をした。

余命宣告受けてたから葬儀屋には資料請求してたってこともあり迷うことなくそこにした。

 

2日後に葬儀と火葬をし、あっという間に母の肉体が消えてしまった。

心の準備なんてできてないのに容赦なく焼かれてしまう。

釜に入っていく時と、骨になって出てくる時がすごくイヤだ。

 

母の住んでたアパートを引き払ったり、勤めてた会社の手続きだったり、支払いなどなど...

色々忙しかった。

亡くなってから1ヶ月くらいで全部終わらせてやっとゆっくり考える時間ができた時に悲しみが押し寄せてきた。

 

母のことは正直、あまり好きではなかった。

年に数回しか会ってなかった。

孫に会いたいと言われても理由をつけて断ってた。

 

体調が悪いのは知ってた。

でも、そんなに悪いとは思ってなかった。

会社の健康診断は受けてるって言ってたし、腫瘍マーカーも毎年受けてるって言ってた。

 

LINEでしょっちゅうケンカしてたな...

トーク履歴消せずにいる。

私ヒドイことばっか言ってるわ。

 

次会えたらちゃんと謝りたい。

今ものすごく会いたいよ。

 

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妊娠がわかった時のこと。

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平成28年3月

職場の人事異動発表の日

今年は多分異動だろうな〜

なんて他課の応援業務をこなしながら考えてた。

 

やっぱり異動だった。

覚悟してたけどちょっとショックだったのを憶えてるな。

 

この頃、毎日眠くて眠くて業務中や研修中に意識を失う(寝てしまう)ことが何度もあったのと、なんかちょっと具合が悪いなって思ってた。

 

症状をネットで検索してみると「妊娠」の文字が出てきて、まさか!とは思ったけどとりあえず検査薬を試してみた。

 

検査薬で陽性が出たけど、もうすぐ新年度が始まるし休日も異動の引き継ぎとかでバタバタしてて病院に行けず...

気付いたら4月になってた。

 

新しい課での仕事がスタートして少しした頃、あまりにも具合が悪くて仕事を休んでやっと病院へ。

 

「おめでとう!妊娠してるよ!!」

 

そうだよな、検査薬4回やって全部陽性だったし...

 

「また2週間後にきてね!」

と言われて帰宅した。

 

すぐに上司に報告

 

夫は検査薬の結果を何度も見てるので、報告しても驚くことなく、了解!ぐらいだった。

 

初めての妊娠

こんな具合が悪い中で新しい仕事やっていけるのか?っていう不安がまずあった。

 

異動してきたばかりなのに妊娠してしまい、なんだか申し訳ないなって気持ちもあった。

 

まずはこのお腹の命をお守りせねば!

ってことで、仕事の靴をcrocsからスニーカーに履き替えた。

 

退院まで。

 

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手術から3日経っても熱が下がらず点滴も抜けないままずっとベッドの上で過ごしていました。

 

前回の入院の時とは全然違う状況に、私も不安で不安で仕方なかった。

 

ここまで熱が続くと、感染症の疑いありとのことで小児科の先生が来て検査をしました。

インフルエンザの検査の時にやる、あの綿棒のようなものを鼻に突っ込まれて泣き叫ぶ娘を見て泣きそうになった。

しかも5本も。

あの検査は大人でも苦痛だもん、可哀想でした。

 

結果は全て陰性。

風邪の症状もないし、もう少し様子見ましょうってことでその日も点滴が抜けないまま就寝。

 

次の日、朝の検温で37度台まで下がってて

先生のOKが出れば点滴抜こうね!って言われて少し安心しました。

 

娘も少し元気になって、プレイルームに歩いて行けるほど回復。

片手はギプス、もう片方は点滴(手の甲)の状態なのでおもちゃでは遊べず...

絵本を何冊も読んで時間を潰しました。

 

プレイルームにいる時に小児科の先生が来て点滴を抜いてくれることに!

サッと抜いてくれて、絆創膏を貼ってもらいました。

 

ここから自由にとはいかないけどおもちゃで遊べるようになった娘は、ここまでの不調が嘘だったかのように遊び始めました。

 

ご飯もおやつもしっかり食べて、久しぶりのシャワータイム。

 

今回の手術、傷口は手だけじゃなくてお腹から皮膚を移植してるのでお腹にも傷があってシャワーの時は苦労しました。

 

お腹の傷口が濡れないように保護テープを貼ってシャワーを浴びるんだけど、このテープ剥がすのが大変...

 

剥がすのが痛くて大声で泣くし、動いて中々剥がせないし、剥がした跡は真っ赤だし...

これが毎日続くのか...ってちょっと憂鬱だった。

 

まぁでも毎日洗わなくたって死なないし、一日おきにするか!

浴びない日は身体拭けばいい!!

って考えてたけど、無理だった。

 

すっかり元気いっぱいになった娘は一日中動き回ってるし、歌いながら踊るし...汗だく。

酸っぱいニオイがするし汗疹になるのがイヤだから毎日シャワー!!

 

その度に病棟中に響き渡る泣き声、とても騒がしい子として有名になりました。

 

よく食べ、よく遊び、よく歌い、よく泣く。

夜は寝付きはいいものの、夜泣きがひどくて夜中に抱っこして廊下を徘徊する毎日。

 

そんなこんなしてるうちについに退院日。

やっと家に帰れる!と嬉しい反面、家に帰ってからも抜糸するまでは毎日泣き叫ぶんだろうなってのを考えたらまたまた憂鬱に...

 

なんか変な気持ちのまま退院したのを憶えています。

 

この記事を書いてるのが手術の約1年後なんだけど、今年も手術が決まってます。

1週間後に入院をひかえてて、自宅待機中です。(コロナの影響で入院前2週間は自宅待機)

 

色んな不安があるけど、とりあえず無事に入院して予定通り手術をするのが目標です。

 

そろそろ準備せねば!

 

手術後から翌朝まで。

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手術後、部屋に戻ってきた娘は大声で泣いてたけど熱があることもあり少しグッタリしていました。

 

泣いては寝て、起きては泣いてを繰り返し

「お茶ーっ!」と叫んではグズグズ。

 

術後の水分は6時間経たないと飲めないらしく、この6時間がめちゃくちゃ長かった。

食事は翌朝から...

そんな娘の横で私がお茶を飲むわけにも、なにか食べるわけにもいかず...

 

幸いこの日は夫も消灯まではいてくれたのでトイレに行ったりラウンジで食事したりはできました。

 

お茶が飲めるようになるのが消灯後だったので周りに気を使いながら看護師さんを呼んで、立ち会いの元無事にお茶を飲むことができました。

 

お茶を飲んだことで多少は落ち着いたけど、やはり術後の傷はすごく痛いようで鎮痛剤があまり効かず「痛いよー」と泣いていました。

 

同時に熱も高めで、寝たと思ってもうなされて起きては泣いてを繰り返していました。

 

個室ではなく4人部屋だから周りに申し訳ない気持ちがあったけど、術後の夜はみんなこんな感じだからお互いさまだよと看護師さんに言われ、そんなに気にすることなく過ごしていました。

 

娘も寝て、私も眠りについて少ししたぐらいに娘が急に「痛い痛い!ママ助けて」と暴れ始め、私も飛び起きました。

 

あまりにも激しい痛がり方だったので看護師さんを呼び、鎮痛剤を追加してもらいました。

 

なんとか落ち着いたけど、グズグズがおさまらないので抱っこして点滴を引いて廊下を何往復もし、そのまま朝を迎えました...

 

みんなが起きた頃に病室に戻り、検温すると全く下がってない!!

と言うか前の日より上がってる...

 

朝食が運ばれてきて、グッタリした娘は一応反応して食べる準備したけど吐き気があって食べられず。

 

この先どうなるんだろうと不安しかなかった。

 

入院生活と手術と。

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無事に入院できました。

 

入院して手術するまでは元気にのびのびと過ごしました。

 

《手術当日》

娘はトップバッターで大体3時間30分予定の手術です。

 

手術室へは、病棟の廊下を一番奥まで行った先のエレベーターで向かうのですが、娘はもうわかっててエレベーターに向かうところから泣いていました。

 

抱っこの状態でエレベーターに乗り込み、手術室がある階で降りて手術室の前まで行ったところで娘とはバイバイです。

 

そこからは看護師さんとしっかり手を繋ぎ、泣きながらも振り返ることなく歩いて行きました。

 

ここで夫は声を出して号泣。

 

手術が終わるまでは、病棟のラウンジか病室で待機です。

とりあえず朝ご飯と昼ごはんをコンビニで買って病棟に戻りました。

 

朝ご飯を静かに食べ、夫は車のオイル交換に出掛けました。

今それやる???って思ったけど、多分気を紛らわすためなんだと思って何も言いませんでした。

 

夫が帰ってくる頃にはお昼になっていて、軽くまたご飯を食べました。

 

そろそろ帰ってくるね。

と言葉を交わし、ソワソワしながら待ってたけど一向に連絡が来ません。

 

予定の時間を1時間くらい過ぎた頃に看護師さんが来て、まだ手術が終わってない。と聞かされました。

 

まぁ、予定通り行かないこともあるよね!

何の連絡もないってことは悪いことは起こってないってことでしょ!

なんて言いながら、長い時間を過ごしました。

 

 

そして

「手術終わりました!迎えに行ってきます」と看護師さんが言いに来てくれたのは手術室の前で娘と別れてから6時間が経った頃でした。

 

やっと娘に会える。

 

でもきっとまた混乱して檻の中のゴリラみたいに大暴れで帰ってくるんだろうな、しっかりしなきゃな!

と覚悟を決めて待っていると

 

ベッドに静かに横になって先生と顔を見合わせてなんか会話しながら大人しくやってくる娘...

 

成長したな...頑張った!!!

まだ2歳なのにな...

 

 

病室につくと私の顔を見るなり

「ママー!!!!!!!」とすごい声で泣きだしました。

 

良かった、いつもの娘だ。

先生の前では強がって泣かなかったんだな。

 

手術した左手はギプスでぐるぐる巻き、右手は点滴がついててテープでぐるぐる巻き。

 

ここから大変な入院生活が始まります。

入院準備。

無事に入院できるかわからないけど、とりあえず準備はしておこう。

前回の入院生活で役に立ったものを中心に!

 

※ちなみに現在、娘は2歳10ヶ月です。

 

■娘の暇つぶし

手術後少しの間はベッドの上で過ごすことになるのと、私があまりプレイルームに行きたくないってのがあるので多めに持って行きます。

 

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最近お弁当ごっこにハマってます。

ぬいぐるみにお弁当作ってあげてる。

 

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定番の塗り絵、お絵描きノート、シール

折り紙、セロハンテープなど

 

折り紙を折ったり丸めたりしてセロハンテープを貼るのがブームです。

(セロハンテープ重いけどね...)

 

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絵本は家にある中のほんの一部を。

重たいから本当は持って行きたくない!

 

他にタブレット持って行きます。

前回は持って行かなくて、私のスマホで動画見てたからスマホ使えなかった!

 

■お風呂セット

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大人と同じシャンプーリンス、ボディーソープ使えるからこれでよし!

あとは母のトリートメントと体洗うやつ。

百均で買ったカゴに入れれば持ち運び便利。

 

病棟内のシャワールームを自由に使えて、ドライヤーとかバスマットはあるからあとはタオル持ってくだけ!

 

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術後のシャワー時の必需品!

ギプスの上から被せるカバー

これ、ほんとにギプス濡れないからオススメ!

 

■お洗濯セット

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約2週間病院にいなきゃいけないし、自宅から遠くて毎日誰か来てくれるわけじゃないから衣類はお洗濯します。

 

洗濯機、乾燥機があるから乾燥機に入れれるモノは入れちゃうけどダメなものは病室で干します。

 

前回ボー〇ドのジェルボール持って行ったけど、匂いが気に入らなくてブルーな毎日を過ごしたため今回は好きな匂いを持ってく!

 

■その他

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病室が乾燥するのでマスク!

あとティッシュとウェットティッシュは必需品ですよね。

あとは娘の目薬とか鼻くそ取るやつとか爪切り!

汗っかきな娘のための扇風機。

 

■食糧

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娘のご飯やおやつは出るけど付き添いの分のご飯は出ない病院なので、お米とお味噌汁などは持っていきます。

その他は病院の売店(ファミマ)で買ってきて食べます。

 

最初の入院の時は娘もまだ小さくて保育士さんに預けられなかったので売店に行けず...

夫が買ってきてくれたカップラーメンを毎日食べていました。

見兼ねたお隣さんが差し入れしてくれたり、調理して食べさせてくれたりしたのでなんとか生きていましたが、食事が一番困りました。

 

退院後人生で初めてインフルエンザにかかったのも、入院生活の疲労からだと思います。

食事大事!栄養大事!!!

 

今回は娘も少し大きくなって保育士さんにもお願いできるから買い出しには行けるのでご飯には困らないと思うけど、コンビニ食ばかりなのもキツいですな^^;

 

付き添いのご飯も出してくれる病院もあるので、病院を選ぶことができる方はそちらをオススメします!!

 

上記の他にも衣類とか細かな物も持って行くので荷物が大変なことになる予定です。

車移動だからなんとか持って行けるけど、自分のものはなるべく減らしたいと思います。

 

さて、今日は麻酔科の診察日!

ここでOKが出れば土曜日から入院です。

 

スムーズに進みますように...